有名人気イタコ霊媒師
有名なイタコ
ここでは、伝説的なイタコから、今現在活躍中のイタコの中でも有名で人気の高い方を紹介します。
日向ケイ子さん
伝統的な修行を積んだイタコで、恐山のお祭り時に形成されるイタコマチでは、もっとも若いイタコの一人です。高校生の時、部活動で痛めた膝の怪我が悪化し、食事もできずに寝込む日が2か月以上も続くが、病院の検査では異常なしとの所見。ある日、イタコの(故)林マセさんを紹介され、みてもらったところ1週間ほどで体調もよくなり食事もできるように。そのとき林マセさんに、イタコになり神様にすがらなくては本当に体がよくなることはないと言われ、イタコになることを決意したそうです。修行を経て1990年から恐山のイタコマチに参加しています。非常に人気のあるイタコであることに加え、口調がゆっくりで口降ろしに時間がかかるため、毎年すごい行列ができます。
坂本(旧姓松田)広子さん
1972年生まれの若手のイタコです。小さい時に頭から沼に落ち、通常なら死んでいたところを生還したころから、「奇跡の子」と呼ばれていました。保育園の七五三のお祝いに神社に行った晩から、何日も謎の高熱が続き、困った母親がイタコの(故)林マセさんにお願いしたところ、病気の原因は先祖の霊障と言われました。その時、ご祈祷してもらうとぴたりと熱がさがったということです。幼い頃から体の弱かった広子さんは、信心深い家族に連れられ全国あちこち祈祷してもらって歩くことが常だったそうです。中学に入った頃には将来はイタコになろうと決意。高校1年生のとき林マセさんに弟子入りしました。林さんの意向で、今は高校くらいは出たほうがいいと進学しましたが、結局、学校にはほとんど行かずに修行をしたそうです。21歳で恐山のイタコマチに参加しました。上記の日向ケイ子さん同様、非常に人気のイタコです。
カミサマ木村藤子さん
イタコの中でも特に霊能力、人格に優れたイタコはカミサマと呼ばれます。イタコの総称として、陸奥のカミサマという呼称が使われることがありますが、全国的にイタコの名が広まった現代では、カミサマという呼称は、特に人気、実力ともに兼ね備えたイタコを指すことが多いでしょう。しかし、歴史的にはカミサマ、オカミサンという呼称は、イタコと区別した霊能者を指す呼称として使われてきました。つまり、イタコに弟子入りし、伝統的な修行を経て免状を受けた人をイタコと呼び、生まれながらに霊能力があるなど、イタコとは別の霊能者をカミサマと呼んだのです。現在はその境界があいまいに使われています。
*陸奥とは現在の青森県から岩手県の二戸郡に渡る範囲です。
カミサマと呼ばれている霊能者の中で、最も名高い霊能者の一人が木村藤子さんです。木村藤子さんは、青森のカミサマ、へびのカミサマの異名を持つ、当代きっての著名な霊能者です。さて、木村藤子さんはよくイタコと混同されていますが、イタコではありません。しかし、青森という霊的な土地に生まれ、霊能者の母を持つ木村藤子さんの中には、少なからずイタコの血の影響を受けていると推測されています。もともと、木村藤子さんのお母様が地元では著名な霊能者でした。藤子さんは、そんな母の姿を見て、霊能者として生きることの大変さが身に染みていたので、最初は霊能者となることを拒んでいたそうです。
しかし、22歳の時、神様の声が聞こえるようになったと言われています。この能力を受け入れるまでには時間がかかり、霊能者として生きる決心をしたのは、神様と出会ってから2年後の24歳の時でした。
そんな、木村藤子さんを一躍有名にしたのが、「へび捜索事件」です。デパートからニシキヘビが脱走したとき、関係者が木村さんに鑑定を依頼しました。木村さんは、「ヘビは駐車場で震えています」と霊視しました。その場所、時間がぴったりあたり、無事ニシキヘビが回収されました、この時、警察から感謝状も贈られています。この事件以来、木村藤子さんは「へびのカミサマ」と呼ばれるようになったのです。